あなたにとって絶対的基準とはゆるがないものですか?
あなたにとって絶対的基準とは
母の日の次の日。遅れながらも母へ感謝を...
皆さんが子供のころを振り返ってみてください。
”これをやってもいいのかな?” ”怒られちゃうのかな”
なんて子供ながらに真剣に考えた末に怒られてしまったり、褒められた過去があると思います。
その時何を基準にして行動の選択をとりましたか?
- 家族や友達に怒られるから
- ルールがあるから
幼いころはこれらの理由が大半を占めるのではないでしょうか
しかしある年頃で気づくはずです。
親も友達も全てが正しいわけではない
では正しいところだけ他人の話は聞いて、相対的に正しいであろうルールや規則も守っていればいいのだろうか?...
そうではないだろう
では何を基準にして私たちは判断しているのだろうか
自分で己の盲点をついてしまった
- 無意識に生活していたのだろうか
- だとしたら自分の過去に基準となるモノサシが存在するのか
家族や親族の教えや法律などのルールを対象範囲外で選択を迫られた際、どのような選択をする?
仲間や友人、愛人の意見を聞いたとしよう
過去や教えから類似する教訓を活かすだろうが
それすら物足りなければどうだろう
己の判断で起こる未来を予測し最善策を見つけるだろう
結局のところ自分が判断材料の中枢であることが分かった
だったらそれだけの責任かつ有望な判断ができるジブンであるのか
答えはNO
まだまだ知らないことが多すぎる
経験したことすらまだまだ浅いことばかり
自分のことで例えを上げてみましょう
最近知った驚きのものといえば、
環境保全を目的に生態学を学ぶ教授ですら何が正しい保全活動なのかわからないということ
自分が開拓している分野なのにもかかわらず
人類の環境保全の一分野がどれほど進展しているのかすら知らなかったのだ。
なんて無知なんだろうか。
皆さんも世界を広げてみるとこのようなことに出くわすと思います
今回のコロナ騒動
誰も予測だにしないことが起き、その先も不透明
さあ、どういった行動をとりましたか?
そしてその評価はいかがでしょうか
私の絶対的基準は未だ成長途中である
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